めめんともり。あるがままを受け入れる

一言でいうならガス抜き。人生いろいろ…

弟の現世最期の日@2023.07.25

ぼちぼち書いて約3ヶ月遅れでようやくup。※まとまってません。
この翌日


2023年7月25日(火)晴れ 真夏日=この日も暑かった。


個室に移動して2日目。
早朝@6:12、弟から「朝早くから悪いけどガリガリ君甘くない氷菓子のどの渇きによろしくお願いします」とメール着信。
smsではなくemailで届いたことを少し不思議に思うも軽く「了解」と返信。


私は午前中仕事なので「できるだけ早めに持って行ってあげて」と姉に頼みました。
※午前中~夕方頃まで姉とFさんが付き添い


仕事の後に所用があり、私が弟のいる病院へ着いたのは17時過ぎ頃。
午前中の弟の様子がだいぶ辛そうだったようで、夜付き添う云々の話が姉とFさんから出ていましたが、私が着いた頃はそうでもなく比較的落ち着いた状態。
なので、まぁ大丈夫でしょうと、Fさんと姉と時間差で帰宅。


私もそうだけれど、弟もコミュニケーション能力が低いこともあって? あまり痛いとか表に出さないので実際のところはどうだったのか・・・痛みを訴え出したのは結果的に最期の25日から。


看護師さんに痛み止めにモルヒネを使うか本人に確認されて・・・
何のイメージがあるのか、モルヒネを怖がってね。
医療用の本当に軽い麻薬ですよ、と言われてもモルヒネの使用を最後まで拒否してました。
結局、普通の?痛み止めを点滴してもらって少し楽になったようです。


私も時折氷を弟の口元に運んだり、冷水を飲む(コップ+ストロー)のを補助したりする程度で特に話をするわけでもなく、2時間ほど付き添って
明日また来るでね(^^)」と声をかけて帰宅しました。
弟も大きくうなずいてくれて・・・
※翌日は仕事休みなので朝から付き添う気で満々だったのよ。


看護師さんからボディソープと尿取りパッドを用意するように言われて、帰りに購入して準備も万端。※結局、使う機会なし



お疲れモードなので早目に就寝。
寝入って1時間程かな?
22:40頃 病院から電話がありました。
バタバタと姉と病院へ向かい23:10頃病院到着。


2023年7月25日 23:39 医師による死亡確認。


最期の時は一緒にいてあげたかったなぁ、と思う部分もあるけれど、逆に弟がさほど苦しまずに逝けてよかったんじゃないかな、とも思う。


結局、弟もいわゆる死に目には会えなかったよ。
タイミングがいいのか悪いのか母も父も知らせを受けて病院に着いた時は旅立った後。
唯一看取れたのは上の弟のみ。※もう一人の弟も2018年に44歳で亡くなってます。


がんの告知を受けてから1ヶ月と22日で弟は逝きました。
検査云々を入れれば5月からなので約2ヶ月かな。
かかりつけ医を持てというけれど、そのかかりつけ医が紹介状を書かない方針のやぶ医者じゃ治るもの治らないよね?




7月からめくっていなかったカレンダーをようやく捲ります。

※特に理由があったわけではなく単にメンドーで捲ってなかっただけの横着もの(^^)